民主文学えひめの会

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『歌集(3)共に行く』を読んで

    大澤ワールドへ、ようこそ!  大川 史香

「ハイタッチ!おお伸びたなあ、背丈まず聞きて始まる孫との会話」
   歌集の第一首目です。対象を見る温かい眼差しと、品格のあるウィット。自然体でなめらかに詠う大澤ワールドに引きこまれ ていきます。 
「爺ちゃんは五歳の時だわが家から見たきのこ雲孫に聞かせる」
作者はその時、広島県に居たのです。その事が揺るぎない生き方として、作歌の底に据えられていると感じました。
「『六の日』は静かに語るマイク持ちあのきのこ雲この目で見しを」  現政権への痛烈な批判、九条改憲を許さない、原発ゼロ実現  をと力強く詠い、素直な口調のわかりやすい歌が立ち上がってきます。
「ともに佇ち非戦を誓う碑の前に油断できぬぞこの国の明日」 
「寒風に負けてたまるかペダルこぐ辺野古の海につながる海道」
「戸惑いて遅めに咲きし桜花遅るる復興嘆きて散るか」 
「五千人の避難を船でと言いながら伊方以西は棄民を謀るか」
   細長く美しい半島の西方に三基の原発があります。岬の鼻の鯛は身が締まり美味でした。高齢の村の住民の避難、船にスムーズに乗れるか。可能か。強く言い切る結句は作者の持ち味です。
「行進は足も気遣い一歩ずつ今年も完歩す ほら、雨あがる」 軽快なリズムも大澤さんの持ち味です。
  『歌集(3)共に行く』は、2012~17年の435首が歌年代別に編まれています。その間、脳内出血、腹部大動脈瘤の大手術をこえ ての発刊に、私たちにも感慨深いものがあります。「ほら、雨あがる」結句のこの前向きな姿勢が先の大病を越える力につながる のでしょう。 
「無断にもオレンジルートと名付け飛ぶ色づく蜜柑のこの蒼き空」  
「オスプレイ岩国・普天間飛ぶ音に瀬戸の潮風しぶきて叫べ」 古里を切り裂くな!オスプレイ。強く詠い収め、作者も私たちも怒っています。
 「『分かりやすいから好き』歌集へのあなたのひと言 大切にする」   確かなリアリティの歌、光景の見える歌がストン、ストンと腹に収まります。 「寒暖差に反応過敏なわが鼻の粘膜勝手にハ・ハ・ハ・ハクション」 「ホウッと吼え真っすぐに押す琴勇輝そのまま押せ押せ突いて押せ押せ」 短歌を難しく考えなくて良いと言うように、肩の力を抜いて、自在に詠えば、そう、こんな楽しい歌に仕上がります。  
「獅子連の夜毎の稽古がんばれと若い衆らにビール差し入れ」 「境内に太鼓ひびきて若い衆の獅子舞う気合い若葉を揺する」
  氏子総代として地域のお世話をしています。「えひめ新歌人」の柱でもあり、「民主文学えひめ」の会長としても活躍です。
「歌会は今日三百回!その半ば共に詠い来この道をゆく」 「年二回発刊つづけこの十年ペンしたたかに地域の息吹きを」(民主文学えひめ誌) 「『出来たてのホカホカの本ありがとう』あなたのメールも湯気たつ気配」  
「大雨になぎ倒されし葦群れの下を構わず水は流れる」  流れゆく水の不変、それは作者の姿です。
「夕映えをうつす水田のしずもりに農うち壊すたくらみ許せず」 広く暮らしを見つめて叙情豊かに詠いあげます。
「年甲斐もなきなどと言うな今だからやれる年なのだ!そう思えばいい」 「加齢ですなどといわれておめおめと薬を提げてどの道をゆく」 「老いたるを恐れずへこまず無視もせずたまにはつくる相聞の歌」 「ランチ取り近況語る面々の声の太さは耳の遠さか」 誰もが不安を抱えています。作者も又。 しかし不安を包み込み、暮らす姿を感じます。短歌に詠い、乗り越えて生きる、短歌の力も感じます。 作者の考え方、主張が明確に伝わり、人間味溢れる歌の最後に『共に行く』その歌です。
「欲張れど死の体験はできないがその一歩前たしかに行った」 
「食細き日々つづくわれ心配し励ます妻の声も辛かり」
「木漏れ日に森のもみじのひかる赤あなたと歩む息を整え」  
「こうこうと照る月の下この道を君と一緒に一歩を前に」
  ひたすら燃やしつづける火、家族との絆、大澤さんの息遣いが心に響いてくる歌集です。
    (おおかわ ふみか 民文えひめ 会員・えひめ新歌人 会長)

訪問者、1万名を超えました

2008年3月に開設した民主文学えひめの会のホームページへの訪問者数が、丁度10年を経過した2カ月前の本年3月に1万名を超えました。1日平均の訪問者数はほぼ3名となります。 そしてこの1カ月くらいは数人の訪問者がある日も珍しくありませんし、先日は10名(新記録)の訪問がありました。記事の更新はなかなか困難なのですが、この「雑感」欄への書き込みなど工夫をしてゆきたいと思います。(お)

訪問者数は、現在7777人です!

偶然ですが、訪問者数のカウントが現在ラッキーセブンのみごとに並んだ7777人と表示されているのに出会っています。このままでいて欲しいような、いやいやもっともっと多数の人にご訪問いただくことが大切なことですね。(お)

「山の文学学校」に参加

・1月9日から12日、信州の下諏訪で開かれた民主文学の「山の文学学校」に参加しました。諏訪湖を臨む諏訪神社の境内にある山王閣ホテルに50名近くが参加したでしょうか。僕は「悪女の系譜」と題して話される大阪大学の名誉教授の市川明先生の講義に出席しました。「悪女の系譜」という題が何となく惹かれました。珍しさもあってでしょう。

・市川さんはギリシャ悲劇の女王メデイアやアンテイゴーネを分析、悪女性を説明されました。蜷川幸雄演出の舞台DⅤDを駆使して、悪女のリアルさを見せるのです。大竹しのぶ役のメデイアはなかなかの迫力でした。舞台の水を張ったプールに大きなハスの花と葉を浮かべ、極楽の池を再現しての様は斬新と言おうか東洋的と言おうか、驚きました。

・悪女というのは男性社会から見たものであって、「何故悪女となったのか、その訳は?の解明が大事だろうと思います。日本社会でも、古くは道鏡と結託した藤原薬子、応仁の乱に発展した日野富子、江島生島で有名な大奥女中の江島、金色夜叉のお宮など、悪女になったのはそれなりの理由があるようです。

・11日午後からオプショナル・ツアーということで安曇野の大王わさび園、碌山美術館、臼井吉見記念館に行きました。大王わさび園は黒沢明の「夢」という映画にも出ていて水車小屋は素晴らい田舎の風景です。そして荻原守衛、碌山美術館は魅力的な、人間味溢れる美術館です。「女」の像にはしばし時間を忘れて観ていました。臼井吉見は評論家なので朱の入った生原稿をじっくりと見ました。小雪の舞う午後でしたが、近くの道の駅で土地の産物を求めたのも良い思い出となりました。

・「山の文学学校」に参加していい刺激を受けたこともさることながら、書くことの意思を持ちました。(川口一夫)

第23回全国研究集会に参加して

第二三回全国研究会に参加して
               岳 重太
◇いま、文学ができること
第23回全国研究会のサブタイトルは「いま、文学ができること」である。梅雨末期の曇天の下、遠く城ケ島あたりの半島を遠望しつつそのことについて真剣なそして熱っぽい論議が交わされた3日間だった。田島一会長は開会あいさつで、50周年を迎えた民主文学、西は道後でも開催された研究会の歴史や成果にも触れつつ、戦争する国作り政権の暴走する状況の中、文学からの対峙を強調された。ちなみに8月号は戦争をテーマにした特集号だという。
第一日目のメーンは最近特に注目されている須藤みゆきと、評論家の(新日本出版の編集者でもある)久野道広の対談である。二人が影響を受けた読書歴とか、小説家と評論家の本音とか興味ある話が続いたのであるが、内容は「民主文学」に譲り、一つだけ紹介すると、須藤みゆきは現在千葉民医連薬局に勤める薬剤師の労働者でもある。小説はもっぱら通勤途上に時代遅れのPHSに打ち込むのだという。小説もかなりユニークなら書斎も通勤途上!
第2日目は六つに分かれた分散会である。「特定の作家の2作品について、創造問題に深く分け入った論議を行う。結果として、参加者の創造、批評活動における成長と発展を目指す」とレジメの目的に書かれていた。
私は工藤勢津子「帰郷」「山の端に陽は落ちて」を題材にした第4分科会に参加した。「帰郷」は共産党への再入党に際して過去の共産党員たちからセクハラを受けた傷を振り返るという重いテーマの作品だけに評価が最初から二分され活発な論議が展開された。しかしテーマとモチーフは作者の生き方にかかわる重大な問題であり、共産党と故郷をダブルイメージにした「帰郷」の積極的な意義については誰もが認めるものであった。

◇「テーマ」と「モチーフ」
 六つの分科会の概要については「民主文学」七月号にそれぞれ担当評論家の問題提起が特集されており、研究会への疑似体験が可能である。
第四分科会の報告者は澤田章子、司会は能島龍三であった。最初に「帰郷」の全体的な評価について参加者の発言があった後、この作品の「テーマ」について各自が書くよう休憩が与えられた。
私は「再入党という人生の重大な転機に際して、主人公が生まれた弘前と、人間として成長した共産党をダブルイメージとして振り返り「組織と人間」の葛藤を残しつつも共産党への復帰を決意するに至る作品」とメモをした。そして作品全体の評価については「ヒロインに凛としたところがなく読後感はもやもやしている。特にリアルに描かれている啓一郎や清川との関係を男性の側から判断するためかもしれない」と発言したりした。
今、改めて澤田章子の前出問題提起を読み直してみると「テーマ」と「モチーフ」について整然纏められている。
作品評価にあたって、「主題と作品の主柱すなわちテーマを明確にし、そして作者はどの様な意図、もしくは動機すなわちモチーフで作品に取り組んだのか」を作品から探らなければならないと言っている。そして「帰郷」のテーマとモチーフについて文章化しているのだが興味のある方は同誌111頁辺りを探されたい。
さらに澤田は積極的に感銘深い作品と評価しつつ課題についても指摘している。その指摘は私の「もやもやした読後感」の由来を示してくれるものでもあった。「読者を主人公の心に寄り添わせ、感動をもたらすまでには描きってない。それは党を故郷とも思うその気持ちが十分には描かれていないことである。党を離れ、党員への不信感の原因がリアルであることに比して党を故郷と思うその根拠が乏しく、イメージを伴って伝わってこない」
創作するにしても、批評するにしても「テーマ」と」「モチーフ」を定石と銘じた次第である。

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